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メールマガジン「がんばりすぎないセキュリティ」No438 (25/12/29)

終戦直後、漢字を救った人たちがいた(438号)

「がんばりすぎないセキュリティ」の記事の中にはセキュリティと縁の遠い話をすることもあります。
そんな中でも異体字(文字の一部の形が異なる文字。しんにょうの点が1つのものと2つのもの、はしご高などが有名)の話などは、もう4年以上前の古い記事なのですが、今もそれなりのアクセス数があります。

 No214 「はしご高」という異体字
 https://note.com/egao_it/n/nb3d9822ebc4d

それだけ、漢字というものに興味をもたれる方が多いのでしょうね。
今回は、歴史の話になりますが、漢字つながりということで、終戦直後に日本の漢字喪失を救った当用漢字のお話です。


1. 当用漢字が作られた時代

1945年8月15日に日本は終戦を迎えます。 この後、日本は主権を失い、GHQによる統治が始まります。 GHQは様々な日本の制度を変えていきますが、その中には国語の取り扱いも含まれていました。 日本語は、独自性の強い言語です。特に使用する文字種が、ひらがな、カタカナ、漢字と多く、中でも漢字の習得には国民に多大な労力を強いている点について、GHQでは「非合理的であり改善すべき」と考える人もそれなりにいたそうです。 当時は、終戦直後であり、今までの価値観を古臭いものと否定され、多くの人が失意のどん底にありました。 実際に、有識者の中にはGHQの考え方は合理的だから、国語を英語にしようとか、日本語でもいいけれど、ローマ字記述とすべきだ、と主張する人も少なからずいたようです。 そこまで極端でなくても、ひらがなとカタカナだけで統一してはどうか?漢字はいらないのではないか?という論調は決して少数派ではなかったようです。

2. 当用漢字

そんな時代背景の中で、当時の国語審議会は、それでも日本人にとって漢字は必要だ、どうすれば残すことができるだろうか?という視点で検討を行ったようです。 当時の穏健派は、「日本語改革が必要だとしても、いきなり漢字撤廃はインパクトが大きすぎる。徐々に漢字の利用度を落としていくのが現実的じゃないか」という主張をしていました。 国語審議会は、これに目を付けたようです。 そして、GHQに提言を行ったのです。 「我々も、日本語改革には積極的に取り組もうと考えている。まずはかなづかいの変更(現代仮名遣い)を行い、また一部の漢字の省略形も導入する。しかし、漢字を全廃することは国民生活に与える影響があまりに大きい。だから、巷で言われているように、使用してよい漢字を制約することで、徐々に漢字の使用比率を落としていくことが現実的だ」という形で説得を図ったようです。 多少の議論はあったものの、この提案をGHQは受け入れます。 その結果、制定されたのが1946年11月制定の「当用漢字」です。 終戦から1年ちょいで制定までもっていったのですから、恐ろしいほどの短期間です。 この「当用」というのは、「当面は用いてもよい」という意味であり、逆に言うと当用漢字表にない漢字は使ってはいけないよ、という制約を付けたわけです。 当時の多くの日本人は慣れ親しんだ従来の漢字を使いたかったはずです。 ですが、GHQの意に反した主張ができない時代です。それでも漢字を延命させるべく、こんな妙案をひねり出した当時の有識者と政治家は大したものだと思います。

3. 当用漢字の功罪

当用漢字の最大の功績は、日本での漢字利用をGHQに公式に認めさせた点です。 漢字を廃止した国もありますよね。 韓国は有名ですが、ベトナムでもチュノムという漢字を捨てています。これは当時の識字率があまりに低く、学習コストの大きな漢字が国民に受け入れられなかったのが要因の一つと言われています。 漢字の学習は大変ですが、とても読みやすい表記方法だと思いますし、平安期の古文まで遡って読むこともできます。 もちろん、当用漢字の問題点もないわけではありません。 当用漢字は、1850文字が含まれているのですが、利用頻度の低い漢字は、ことごとく抜け落ちています。 昭和30年代〜50年代の新聞で、「ねつ造」や「比ゆ」「改ざん」「憂うつ」「ねん挫」といったひらがな混じりの記述を覚えている方もおられるかもしれません。これらは当用漢字以外が使えないことによる弊害です。 また、当用漢字そのものではありませんが、この時に標準字形が変更された漢字が多数あります。いわゆる新字体です。といっても今となっては「新字体」などと呼ぶ人はまずいません。むしろ当用漢字以前の字体を「旧字体」と呼ぶ方が一般的でしょう。 当時は全てが手書きでしたから、旧字体の中には、書くのがとても面倒なものがたくさんありました。  当 ← 當  声 ← 聲  医 ← 醫  学 ← 學 当時でもこれをマジメに書くのは大変ですから、省略記法はいろいろあったようです。 それを積極的に採用したのが新字体だそうです。  営 ← 營  闘 ← 鬪  豊 ← 豐  単 ← 單 ところが、営と学と単は本来は違った部首なのに、その違いがまるでわからなくなっています。 また、当用漢字の文字数が少なすぎるため、似たような文字で代用するケースも山のようにあります。  註文 → 注文  古稀 → 古希(70歳)  (☆この例をもう少し増やしたい。何かいい例をしらない?)   こういった話は当用漢字を考案した時点での時代背景を考えるとやむを得ない話で、むしろ筆者の指摘は「難くせ」なのかもしれません。

4. そして、常用漢字へ

さて、1946年に当用漢字が制定されました。 ですが、当初の話に合ったような漢字制限をするような流れにはなっていません。 ここも歴史が関係します。 ご存知のとおり日本は1952年にサンフランシスコ講和条約で主権を取り戻し、日本人による統治が行えるようになります。 ここにきて、日本は「漢字制限論?なにそれ?」という態度に転じます。 それどころか、1981年には、「当用漢字」は「常用漢字」となります。 常用漢字とは、「現代国語を書き表す場合の目安」と定義され、常用漢字にない文字を抑制するものではありません。また、「当面の間」といった漢字制限の方向性も完全に消えました。 当用漢字と常用漢字って、名前が違うだけ、と思われがちですが、その精神において、まるで逆方向なんですね。 筆者の想像にすぎませんが、当時の有識者たちは「日本はいずれ主権を取り戻す。だからGHQをゴマカすことさえできれば、きっと漢字は元通りに使えるようになる」と考えていたのかも知れません。とすれば、とてつもない先見の明ですね。

5. まとめ

日本は終戦直後に、漢字を完全に失うかもしれない危機にありました。 しかし、当時の有識者や政治家の努力で、「当用漢字」という妙案を用いることでGHQの目をかいくぐり、結果として今も漢字を自由に使えるようになりました。 それどころか、1978年以降、日本はJIS(日本産業規格)で第一水準と第二水準(合計で約6900文字)を決め、さらに2000年には第三水準、第四水準(約4300文字)を制定し、合計で1万1千文字を越える大量の文字を規定しています。 この現状も、終戦直後に定められた当用漢字のおかげだと考えると、感慨深いものがあります。当時の有識者の皆さんに感謝。 ちなみに、千年前の文書を自国語として読める言語って世界でもほぼないそうです。 英語も、スペイン語も、中国語も、千年前のは別言語くらい文法も単語も違っていて、専門家でないと読めないものが大半だとか。 日本はその意味でも幸せな国なんですね。いや、筆者は古文が苦手でしたけどねー。笑。 コンピュータ言語の方がよっぽど覚えやすいデス。 今回は年末ということで、いつものセキュリティネタとは違ったお話としてみましたが、いかがだったでしょうか。 さて、2025年のがんばりすぎないセキュリティはこれが最終号となります。 2026年も、毎週一回の記事をお届けし続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 今回お話したこと:  ・当用漢字は「漢字制限論」の一環として終戦直後の1946年に定められました。  ・常用漢字は「日常に使う漢字の目安」となり、制限色はなくなりました。 (本稿は 2025年12月に作成しました)

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